東日本大震災から4年目に思う 被災地のこと 

2015年3月11日 23時10分 | カテゴリー: 活動報告

2013年11月23日~24日、東北の被災地を訪れました。

フェイスブックには、連日報告しておりましたが、

ホームページでは報告しきれていませんでした。

いつかいつかと思いつつ、東日本大震災から4年が経ってしまいました。

 

被災地への訪問は、まず仙台から車で東松島へ。

石巻で被災し、東松島で会社を再建した高橋徳治商店さんでお話を伺いました。

会社のすぐ近くに立ち並ぶ仮設住宅。

会社を建て直すに当たり、

いざという時には、自分の会社を避難所にできるようにと、井戸を掘り、

太陽光パネルで発電した電力を売らずに自社で利用、

そして災害の時にトイレの汚物も貯めておけるようにと、その貯蔵施設も作っていました。

「なにか感じた時には、他人の言葉を借りずに、自分の言葉で表すことが大切」

高橋社長の言葉です。

「せっかく生き残ったのだから、やることを見つける」

いろんなことを考えようという熱い気持ちは、

震災後さまざまな困難、思いを乗り越えた。

自ら楽になりたいと思ったこともあると淡々と話す社長の言葉。 ますます重みを感じました。

 

そしてたくさんの子どもたちが亡くなった大川小学校で祈りを捧げ、十三浜へ。

仮設住宅のあちこちに「脱原発」のステッカーが。

女川原発に反対し続けてきたお話も伺い、皆、「そうだそうだ!」と。

このあたりのお宅は、みな屋敷も大きく立派。

仮設住宅内を見せていただいたけれど、この空間は狭くて なじまないだろう。

窓越しに見える向かいの仮設住宅の窓。

薄い壁。 冬が近かった…

 

あっという間に陽が沈み、まっくらで何も目印もない中で赤く光る信号機。 

夜は女川のトレーラーハウス「エルファロ」(灯台の意味)に宿泊。

エルファロの女性オーナーのお話を伺いました。

子どもたちを探す日々。

親族が亡くなっても、泣けなかったこと。

たくさんの思いを伺いました。

そして、女性の優しさと強さを思いました。

「今頃と思わないで。いつまでも私たちを忘れないで。これからも、何回も来て」

オーナーの言葉が今も胸に響きます。

 

翌日、女川の街を一望できる場所に行きました。

こんなに高いところにあるのに、この建物の1階も津波に飲み込まれたとのこと。

この高台まで逃げてきて、ここなら大丈夫だろうと

津波が来るのを見ていた大勢の方が亡くなられたそうです。

 津波の恐ろしさを思い知らされます。

 

その後、亘理町でお話を聞き、「FUGURO」を購入。

いちご産地の亘理町だけに、可愛いいちごの作品も。

集まって話をし、手作業をし、仕事が生まれ、

銀行の建物が横倒し 女川にて

この高台の上まで津波がきた 女川にて

高台の上の医療施設 この高さまで津波が来た 多くの方が亡くなられました

子どもたちも親御さんの近くで安心でき、

大事な居場所ができていました。

 

最後は福島の新地でりんご農家のお話を伺いました。

木についたセシウムを洗い落とすことや、

セシウムは成長する部分に集まるため木を剪定したりなど、

さまざまな努力をしていました。

こだわって、こだわって作り続けてきたりんご。

悔しいです。

 

東日本大震災から4年目の今日、

なかなか書けずにいた被災地のこと。

胸が塞がれる思いを改めて感じつつ、報告といたします。