文化の日に思う

2014年11月3日 23時36分 | カテゴリー: 活動報告

文化の日

68年前の今日、憲法が公布されました。

今年は、カレンダーの上で
憲法をひしひしと感じます。
「文化の日」=「憲法公布の日」だと、
私は今まで考えて過ごしたことがあるだろうか?

以前、憲法についてお話を伺った時、
私たちは日々の中で憲法を意識することは ほとんどない、
憲法を感じるのは、自分が困った時だ、と伺った。

こんなにも、ヒシヒシと憲法を感じるということは、
よっぽど私は困っているのか、不安なのかと、改めて感じます。

自分の子どもだけでなく、日本の子どもたちの未来、命がかかっていることですから。

日本人は「政治」をいやがりますが、
日々の暮らしが、既に政治です。

ごみ出し、生活道路、子育て、介護、学校のこと公園のこと などなど
本来、政治抜きには 生活はできないはずです。
それなのに、それは政治ではないと思うのは
戦後の日本の「教育」の成せる業でしょう。
成功しすぎて、お上のすること、決めることを鵜呑みにすることが良いこと
お上に意見してはいけない、など大多数が勘違いをし
それが正しい、それが基本だという思考になっています。

人間の思考は、本来もっと自由。
与えられたことだけが正しいのではないはずです。

以前 リヒテルズ・直子さんのお話を伺ったとき
オランダでは、第二次世界対戦の時に、
ナチスに対して意見を言えなかったことを反省して
子どもの頃から、しっかりお互いの意見を言い
議論をして、自分たちで話し合って決めるという教育をしているそうです。

例えば、幼稚園でお散歩に行くのも
どこに行くのかを子どもたちで話し合って決めるそうです。
AとBの意見が出ても、単に賛成多数で決めるのではなく
どうしてそこに行きたいか理由も伝え
対案も出して、決めていくということを子どもの頃から学ぶそうです。

先生がAに行くといったから、Aに行くというのではないのです。

日本の未来も、そのときの政府が勝手に決めるのではなく
国民である私たちもしっかりと考え
目先の利益だけでなく、
未来の子どもの事たちも考えた判断をしたいものだと思います。

そのためには、投票に行くことも大事なことですし、
おかしいと思ったらおかしいと伝えること、
デモなどで意思表示をすることなど、
私たち国民も、素直に大人しいだけでは、何も変わらないのではないでしょうか?

変えるためには、自分も変わることが必要です。
一歩踏み出すことが大切です。

何も言わないことが「美徳」というのは
自分で、自分の権利も義務も放棄していることにならないでしょうか?

何が正しいのか、未来にどうありたいのかを、自分で考えられる人が増えてほしい、
そう心から願う夕暮れでした。