震災を教訓に考えること

2011年5月13日 15時10分 | カテゴリー: 活動報告

お蔭さまで 母は元気でした

にりん草
にりん草
 4月29日、東北新幹線全線開通のニュースを見て、居ても立っても居られず、3月11日の東日本大震災後、ずっと帰れなかった宮城蔵王の母のもとに、土日を利用して行ってきました。

 ゴールデンウィーク、そして全線開通直後ながら、東北新幹線は空席がありました。
 
 同じ宮城県内でも、母の住む場所は蔵王のふもとなので、震度6強の揺れはあったものの、津波の被害もなく、海側ほどの被害はなくて済みました。
 
 しかし、新幹線の駅を出てすぐの大通りは、あちこちに段差や亀裂があり、マンホールは巨大な霜柱のように突き出ていました。山道を走っていても、こんな標高のところまで!と思ってしまうような道でも、アスファルトの両側が崩れていました。

 幸い母の家は、お風呂場とトイレが少々壊れたものの、何とか使えました。 
 地震の直後、停電になったので、テレビも見られず、電話も使えず、何も情報がなく、1週間後に電気がついて初めて、津波や原発の被害を知ったそうです。
 近所の川や湧き水を汲み、そして庭にある原木からしいたけを収穫し、湧き水のクレソンを取ってきたり。庭にあるものは、自然に生えたものがほとんどですが、食べられるものが多いのよと教えてくれました。
(板橋区に縁の深い植物もありました!にりん草)

ガスはプロパンだったから使えました。
寒い時期だったので、温かい食べ物があって 本当に良かったと言っていました。
石油の心配があったので、少しずつつけた石油ストーブも、活躍したそうです。今のストーブは、電気がないと使えないものが多いので、やはり電池タイプのものも必要だと思いました。。
 また、人と人とのつながりに、ずいぶん助けられたことも実感しました。

 東京に帰り、板橋区の地図を改めて見ました。
 板橋区は、9つの広域避難場所を指定しています。
浮間公園・荒川河川敷緑地一帯の避難場所は、広く、てたくさんの人数を収容できますが、今回のような津波が発生した場合、大きな問題が生じます。
 また、私自身の避難先でもある城北中央公園一帯は、実は板橋区民だけでなく、豊島区、練馬区でも避難場所にしています。 どう考えても、この避難場所に入りきるとは思えません。
避難場所の再構築も必要です。

 今回の震災を教訓に、行政はいろいろな見直しをしていかなければならないと思います。
板橋区の防災計画がより良いものとなるように、働きかけて行きます。

 しかしながら、大きな災害時ほど、自分で何とかしなければいけない時間も長くなります。その間を過ごすための備えをどうするか、もう一度各家庭、そして個人個人でも考えることが必要だと、改めて考えました。