本当の無駄は何か?

2011年1月5日 17時11分 | カテゴリー: 活動報告

       元日の読売新聞に「無駄」についての記事がありました。

  このところ 政府の「仕分け」など、無駄をいかに無くすかに、
 日本の社会は多くの力を費やしてきたように思います。
  企業でも、いかに無駄を省いて効率よく生産するかか最重要視され
 外国への工場、事務処理移転などが当たり前のように行われ、
 そのために職場を失うなど、社会問題にもなっています。
  なんでも、どんなことでも「効率」が最優先されている、
 そう感じる今日この頃です。

  しかし、本当に無駄を省いて「効率」だけ優先すれば良いのでしょうか?
 私は、なにか大事なものも一緒に失っているように思います。
 
  どのお母さんもそうだと思いますが、
 私は、子どもの幼稚園選びのときに、
 自分の中に1つ譲れないポイントがありました。
  それは、幼稚園の送り迎えを自分でしたいということです。
  山形の自然の中で育った私ですが、
 コンクリートだらけの都会では、自然の移ろいを感じることが難しい。
 幼稚園までの道を、子どもと一緒に、わずかでも自然を感じながら歩きたい。
 それが私の願いでした。
  幼稚園バスがある幼稚園にすれば、
 下の子を連れて雨の中 幼稚園まで二往復する手間が省けます。
 下の子が熱があるときも、安心して幼稚園に送り出すことができ、
 効率はとても良くなります。
  でも、私はその効率より、あえて手間がかかる方を選びました。
 ある雨の日は、帰り道にあるすべての水溜りを制覇して歩き、
 普段 子どもの足で20分の道のりを、1時間以上かけて帰りました。
 金木犀の季節は、一緒にその香りを楽しみ、
 雪の日は、小さな雪だるまをあちこち作って楽しみました。
 面倒な時、辛い時がなかったと言えばうそになりますが、
 それ以上に、たくさんの楽しい思い出ができました。

  読売新聞の中で、弦田有史・東京大社会科学研究所教授は

    「効率や損得から『報われない努力は無駄』と考える風潮が
    強まっている。しかし、『人生に無駄はない』と、無駄をいとわ
    ない人の方が希望を持つ割合が高い。−中略ー 徹底的に
    無駄を排除すれば、便利な国になるかもしれないが、面白み、
    ワクワク感は失われる。−略ー」

  と言っています。

  日本の文化・芸術・建築・演劇などにおいても、一見何もない「間」は
 実はとても大きな意味を持ちます。

  効率ばかり重視する生活は、味気なく、わびしく、
 心や時間などにゆとりがなくては、新たな発見も少ないと思います。

  2008年ノーベル物理学賞を受賞した益川敏英教授の著書
  『「フラフラ」のすすめ』の中で、益川教授は

    「ー略ー さまざまなことに好奇心を燃やして、いったい自分が
     本当に好きなものは何なのか、それをフラフラしながら探すことの
     楽しさ、大切さについて、いっしょに考えていきましょう。」

  と書いていらっしゃいます。
   そして、「益川教授の専門の理論物理学は実際に私たちの生活や
  社会に役に立つものなのですか?」という質問に対して、

    −中略ー 残念ながら直接的な意味では社会の役には立ちません。
   でも、「間接的」にはおおいに役立っていると思います。
    −中略ー 自然界の根源的な謎に迫って知的好奇心を揺さぶり、
   夢とロマンを与えるという点では、人類の文化に立派に貢献していると
   いえるのではないでしょうか。
    −中略ー つまり、現代の科学では、理論を証明するために最先端の
   技術開発が必要になり、そこで開発された技術は社会に還元され、人々
   の生活に寄与する。われわれ物理学者の社会への貢献はそういうふうに
   してなされる場合があると、ぼくは考えているのです。
  
   一見役に立たないように見えるものでも、
  実は無駄ではないものはたくさんあります。
  「効率」が私たちの生活、社会を支配してしまうのでは、
  本末転倒なのではないでしょうか。

   何でもかんでも「無駄」なのではなく、本当の「無駄」を見極めなくすことが、
  私たちの本当の課題なのだと思います。

   板橋区議の議員特権の1つでもある、費用弁償。
  「費用弁償」というと難しいですが、本会議や委員会に通うための交通費が、
  実費ではなく、一律で支払われています。
  1日4000円。
  それが、歩いたり、自転車で通う人にも、です。
  議会内各政党の反対があって、やっと6000円からさげた金額が、これです。

  これこそ、本当の無駄の一つではないでしょうか。